Y染色体ハプロ型R1a1a分布 アレクサンドロス3世の東方大遠征に因るヘレニズム文化のアジアへの拡大は印欧語族であったY染色体ハプロ型R1a1aの人種をアジアに拡げた筈で、中央アジアを発祥の地とすると言われるパルニ氏族を出自としたと伝えるアルサケスはアレクサンドロスの没後凡そ1世紀後にギリシア人のディオドトスが中央アジアにグレコ・バクトリア王朝を興す前後にパルティア王朝を興し、中国の史書にて安息と記されるパルティアを朝鮮語では安宿(あんすく)とし、これが飛鳥の語源となっていると思われ、纏向遺跡の近くまで遡る大和川が生駒山地と金剛山地の間を縊る山門の手前に在った河内・安宿(あすかべ)郡に在地した渡来系氏族と伝える飛鳥部奈止麻呂はパルニ氏族の後裔かも知れず、奈止麻呂の娘である百済永継が生んだ藤原冬嗣の後裔が摂関家となる所以は日本の国家的起源に係る重大な示唆を与える。

 白匈奴とも記されるエフタルもまたパルティアの後継と思われ、パルニ氏族との関係が言われるタジク族の後裔が安宿郡に隣接し応神天皇陵と仁徳天皇陵との間に在った河内・丹比(たじひ)郡を本拠としたであろう多治比氏であったと推測される。

 平安期に武蔵・加美郡下に在った丹荘を拠点に製鉄に従っていたと伝える多治比氏を出自とする真宗が桓武天皇との間に生した葛原親王の後裔が板東平氏とされ、今のタジキスタン共和国ソグド州に蟠踞したソグド人もまたパルニ氏族と関係が有ったと思われ、アレクサンドロスの王妃ロクサネはソグド人であった筈である。

 而して、現代のタジク人とタキトゥスがゲルマニアと括った東ヨーロッパに居住する人々のY染色体ハプロ型が等しくR1a1aとする人を多くすることは歴史的必然と思われ、タジキスタンに隣接するキルギスの人々もまた6割超の人々がY染色体ハプロ型をR1a系統とするという。

 多治比を意味する丹治姓を称える日本人は少なくなく、日本人の躯からY染色体ハプロ型をR1a1aとする人がどれだけ発見されるかは興味深い処である。

【著者】堀籠 亮一 旧『日本史疑』はこちら

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