北条時政 『週刊大衆』が往年のAV女優の今を探ったという見出しを掲げていたので見たいと思ったら袋綴じになってたので残念だったが、歴史作家の連載記事が在って、高天原が何処に在ったかという江戸時代以来学者が続けている論争について言及しているのを目にし、ちょっと私も書きたくなった。

 わが国屈指の碩学・新井白石は茨城県多賀郡と唱え、福島県に接する多賀郡は陸奥への玄関口に該る。

 しかし、多賀郡の号から想起させることは滋賀県犬上郡に鎮座する多賀大社であり、伊勢神宮の祭神の両親を祀っている。

 彦根を近くする多賀大社の号が示すように、"高い"という辞には日本の国家的起源を示唆するものが有る。

 先にも当ブログに記したが、皇統譜第10代・崇神天皇の母は伊香色謎命と伝え、滋賀県伊香郡との関係を想わせる。

 伊香郡から直ぐ北となる野坂山地を越えるや若狭湾に臨む敦賀に到り、朝鮮半島から主に山陰地方に上陸した出雲族=天孫族が琵琶湖の水運を利するべくその北岸に拠点を構えたことが想像される。

 多賀大社もその古蹟と思われる。

 朝鮮半島から渡ってきたとすると、最近のネトウヨらには我慢できない話となり、日本の学界も認めたがらない。

 東大の学者らは筑紫に在った王権が近畿に移動した説を頑くなに主張するが、朝鮮半島南端に在った任那の王族こそ出雲族であり、対馬海流に乗って島根半島西端に鎮座する出雲大社の近傍にも拠点を構えたことは想像に難くない。

 任那の王族とは実にアジア人種と混血を重ねたギリシア人であった筈で、三角比を識っていたギリシア人は短い時間で日本列島の地形を凡そ把握し得た。

 応用天皇陵や仁徳天皇陵は三角比を識るギリシア人が測量を果たしたもので、両天皇陵の間に在った河内・丹比(たじひ)郡の号から製鉄に従った多治比氏が蟠踞した地であった筈で、多治比氏とはアレクサンドロス3世が中央アジアに棲息したサカ族と対決する為に拠点を構えたタジキスタンの原住民を出自とした族であろうし、鎌倉幕府で主な御家人となった千葉氏や畠山氏らはこの多治比氏を出自とする。

 14世紀に成った『尊卑分脈』は桓武天皇が多治比真宗に生ませた子・葛原親王を平高望の祖父とし、菅原道真の乳母であった多治比文子が道真の霊を鎮めるべく私宅に建てた祠が京都市中京区に見られ、多治比氏の血脈が日本史に枢軸に在ったことは否めず、アナトリア高原からイラン高原を経てツラン平原を過ごし、タリム盆地をも横断しモンゴル高原を移徒したギリシア人の末裔らにとって木々に被われた日本列島の光景は印象的であったに違いなく、滋賀県在地の原住民首長をキと呼んだ所以であり、崇神天皇の母・伊香色謎命の父を大ヘソキと伝えるのは、測量に長じていたギリシア人は滋賀県辺りが本州島のヘソに該ることを識っていたことを示唆する。

 大ヘソキは近江の土豪・佐々木氏の祖である筈で、紀氏とは大ヘソキの末裔であり、崇神天皇を生んだ伊香色謎命の母がまた高屋阿波良姫と伝える処は大ヘソキが崇神天皇の父に命じられ四国に渡る際に紀伊を拠点とし、為に紀伊の国名が生じ、泡立つ鳴門海峡を渡った阿波の生まれとなる高屋阿波良姫を娶り、郷里の伊香郡で崇神天皇の母となる娘を儲けたことを想像させる。

 測量に長けたギリシア人たる出雲族=天孫族は信濃川<千曲川の源流にまで遡り、関東山地を越えるや神流川を下って利根川に到ったと思われ、千曲川・神流川を発する関東山地の一角は高天原山と呼ばれている。

 1984年の日航ジャンボ・ジェット機墜落現場は地元自治体首長の発表から御巣鷹山とされているが、御巣鷹山より南に位置する高天原山の山腹であり、太古の因縁が犠牲者らの霊を冥界に喚んだかのようなミステリアスな気もちにさせられる。

 旧利根川は東京湾に注ぎ、出雲族=天孫族は海上を航行しながらも、房総半島が大東岬から富津崎に亘って東西に膨らんだ房の形をしていることを察知した。

 だからこそ、房の国と名付けた。

 ことほど然様に、平高望の名などの"高い"の辞や高天原なる地とは、アレクサンドロス3世が拠点を構え、その百年後にディオドトスがグレコ・バクトリア王朝の都を定めたタジキスタンからタリム盆地へ抜ける為に越えなければならなかった世界の屋根と呼ばれるパミール高原に由来するものなのだ。


【著者の辞】
 出稿のご依頼は izumo_tribe@yahoo.co.jp まで