日本気象協会の予想では京都の桜満開は4月4日とのこと、ちょうど週末となる為、かなりの花見客があるものと予想されるが、関西でも代表的な桜の名所として識られる伏見の醍醐寺における去年の桜が左の映像である。

 琵琶湖から発して大和国境を近くする木津へ向かって南下する瀬田川の畔となる石山寺と近江・甲賀郡と山城との国境を成す南北に延びた山稜を挿んだ反対側に位置する醍醐寺は平家全盛期に清盛の孫らとともに源義経と父母を等しくする阿野全成が過ごした寺であった。

 当ブログ著者の遠祖となる阿野全成と源義経を生んだのは常盤御前であるが、一般に頼朝の異母弟とされる二人の実の父は頼朝の父ではない。

 頼朝の曾祖父・義親は殺人の罪科で平正盛によって処断されており、義親の父・義家より河内源氏の家督を継いだのは義親の弟・義忠であったが、佐竹・武田の祖として義忠の叔父となる義光によって義忠は謀殺された。

 義忠の子・経国は新田・足利の祖となる叔父・義国に扶育されたが、白河院政期の摂関家である師実の子として後白河法皇の子である二条天皇の母方祖父となる藤原経実の娘を正室とした。

 しかし、源経国は平正盛の娘を母とし正に源平嫡流の血脈を交えた血統であったが、藤原道長の兄として一条天皇皇后・定子の父である中関白・道隆の家令を務めた有道惟広なる吏僚の曾孫と伝える経行という武蔵・児玉郡の山深くに在った官営牧場の牧監の娘を側室に迎え、その官営牧場と尾根を挿んで隣接する地に河内荘と号した荘園を立券している。

 故・石井進東大名誉教授が著書の中で紹介していることは源経国に娘を与えた有道経行が牧監を務めた官営牧場址に見る祠に紅白の馬体一対が祀られていることで、経国の子・盛経は有道経行が牧監を務めた官営牧場と父・経国が開いた荘園とを結ぶ山道の途中となる児玉郡稲沢郷を所領とした。

 稲沢郷には稲聚神社と号する祠を見るが、源義経の郎党として義経の最期まで付き随った鈴木重家は紀伊・名草郡藤白郷を本貫とする武将であり、藤白鈴木氏の分流とする江梨鈴木氏は16世紀に小田原北条氏配下の水軍の将として伊豆半島の稲取岬一帯を拠点としていた。

 武蔵坊弁慶の出生地との伝承を見る紀伊・日高郡下に在って稲沢盛経の後裔を称した武家が野長瀬氏であり、ウルトラマンやウルトラセブンの演出で識られる野長瀬三摩地氏の生家である。

 稲沢盛経は父・経国が平正盛の外孫となる為か清盛の祐筆を務めたとする伝承が在り、源義経とその兄・阿野全成らの実の父は稲沢盛経であって、頼朝は義経を弟として遇することで義経を味方に付けた訳である。

 清盛の孫らが在籍する醍醐寺に阿野全成もまた安寧に時を過ごし得た理由に得心し、壇ノ浦から京に凱旋した義経に後白河法皇が官途を授けた理由、そして頼朝が義経追討の院宣を法皇に強要した理由が氷解する。

 阿野全成・源義経らの母・常盤御前は入間川の支流を遡った山深い武蔵・多摩郡成木郷の領主の下で晩年を過ごしたとする伝承が在り、成木郷の領主は北条時政と従兄弟の続柄に在ったとする文書を見る熊谷直実を派したとされる私市党に属した領主と伝える。

 私市党の本拠は埼玉郡下の旧利根川が流れる近傍であったが、大阪府交野市にも私市駅という名称を見せ、源経国に娘を与えた有道経行より8世先となる人物が家令を務めた葛原親王の祖父として天智天皇の孫となる光仁天皇の即位に功績を成した藤原魚名の母は片野朝臣との名のみ伝え、その素姓を後世に全く識らせない謎の女性であった。

 光仁・桓武両朝にて左大臣を任じた藤原魚名は川辺大臣との渾名を伝え、摂津・川辺郡下に多田荘を開いて源氏興隆の経済的基盤を得た者が源経国の遠祖となる満仲であった。

 醍醐天皇の母方祖父となる藤原高藤は帝を生んだ娘を宇治大領・宮道弥益の娘・列子との間に儲けており、宇治と大阪府交野市は極めて近い距離に在る。

 藤原魚名の五子・藤成の曾孫となる秀郷は平将門を討った武将として識られ、その本拠は私市党が本拠とした埼玉郡を流れる江戸川の前身・太日川を遡った下野・安蘇郡下に在った。

 『義経記』が言う京・四条の金売吉次が牛若丸を鞍馬から連れ出した先の藤原秀衡は秀郷の後裔であり、奥州の産金を支配した族と有縁であった金売吉次の名から連想させることは有道経行より8世先として桓武帝の子・葛原親王の家令を務めた吏僚の祖父にとって従弟に該る者を羊と伝える文書が在り、711年東山道の通う上野の地に多胡郡が新設された折に建立された石碑に見える新郡の経営を委ねられた者の名を羊と伝え、多胡郡が新設された虞らく最大の理由であろう708年に秩父郡黒谷郷での自然銅の発見を成した人物が有道氏の遠祖一類となる者の仕業であったかも知れず、文書が記す有道氏遠祖一類となる羊なる者の孫という継主なる者を大部の祖と記す処は749年に陸奥・小田郡涌谷郷で史上初の産金を遂げたとする人物を丈部大麻呂と伝える点、有道経行より8世先となる人物が833年に有道姓を授けられるまで丈部を称していたことと符合する。


【著者より】
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